みみにっき

mimiが書く日記です。

2013ツアー直前!山下達郎さんの作詞。あるいは、諦めない人の強さについて。

今年の達郎さんのツアー「山下達郎 PERFORMANCE 2013」ももうあと2日で始まる!
今回も、もちろん行きますヨ!何回行くかはショナイです。
とにかく、死ぬほど楽しみなので達郎さんについてのエントリーなどを。

作曲能力の高さゆえなのか、マニアにとってはもうそんなの当たり前だからなのかわかりませんが、あんまり達郎さんの作詞だけにフォーカスした文章って読んだことない(あったら誰か、教えて!)。これは、そのことを書こうと思ってずっとしたためていたエントリーです。

達郎さんの音楽を聞いてふと思ったのだけど、彼は思うように行かない恋愛の曲がとても多い。言うまでもなく「クリスマスイブ」だったり、不倫ドラマのテーマソングにもなった定番「Endless Game」だったり、遊ばれてる男がスネまくってる「ペイパー・ドール」なんて名曲もある。


山下達郎 / Paper Doll - YouTube

彼のワークスで「愛してるよー」って高らかに歌い上げている曲の歌詞ってのは、実は大半を吉田美奈子さんが作っている。逆に、彼の作詞の曲ってうまく行ってる恋愛の曲ってあんまりない気がする。

最近の曲は言うまでもなく、殆ど達郎さん自身の作詞作曲ですが、過去、達郎さんご本人自身が作っている曲は、人柄をあらわすように内省的な、静けさや個人を超えた歴史まで引いたような、視点の壮大さを感じる曲が多い。「蒼氓」「RIDE ON TIME」「アトムの子」「さよなら夏の日」…。

その中で彼の恋愛の曲っていうのは、なんかしらうまくいくように努力したり、努力の結果うまく行かなかったりして苦悩している痕跡のある曲がめっちゃ多い(クリスマスの夜に会う約束したまではいいが、すっぽかされるのとかそれの典型ですね〜)。とにかく、“なにかしらがうまくいくように”自分で考えて努力しているということが伺える歌詞が多い。

 

※ 興味が湧いたら曲名をクリックしてください。
それぞれ、ネットにアレされてるアレに飛びますのでその後は買ったり借りたりしてください。

地下鉄の階段を 泣きながら駆け降りていく君の 後姿
君の許に跪いて 許して欲しいと 僕が言えばそれで済むの? 愛は…
スプリンクラー(←ようつべにはないのでニコ動で探したら何故かライブverがうpされててビビる)

JODY 悲しみを 消してあげたかった
一人きり泣いていた 姿を 僕は見てた

君の肩を そっと抱いて 歩く夢 今も
残っているのさ ずっと…
悲しみのJODY(She Was Crying))

ちなみに「悲しみのJODY」は今年亡くなってしまった彼の大事なビジネスパートナーであり英語詩の師だったアラン・オデイの英詩バージョンというのもありまして…

Jody, there's no one to blame
When young hearts get burned by lover's flame
The love that we made, was a game that you played
'Til it faded
But I still feel the same

Broken hearts find their way
Back in time, to the scene of the crime
So I'm here once more, where we love before
And I walk the shore, calling to you

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ジョディー、また僕は泣いているんだよ 1人で砂浜を歩いているんだ
潮騒の音が君のことを思い出させるんだ とっても鮮明に・・・
まるで君に手を握られてるみたいだよ

ジョディー、若い2人が愛の炎を燃やし合っただけ

誰が悪かった訳でもないんだ 僕達の恋はとことん最後まで ただの遊びだったのかい
でも僕の気持ちは今も変わってないんだよ
JODY

 というように、より、振られてることが鮮明になってます。
この前振りあっての達郎さんの日本語詩を考えると、振られたことを直接表現してない分うら寂しさが増しています。

スプリンクラー」だって、『私だったら、あの状況を歌にするならケンカしたのかを声高に説明してみんなに同情してもらいたくなるだろうから、説明的になっちゃうだろうな』とか、「悲しみのJODY」だって、彼女が悪いってことにして英語詩のように「遊ばれたー!」って叫んでもいいのに、言葉少なに海歩いてる…。

そうした達郎さんの歌詞から立ち上る人物像というのは、達郎さんの生き方というか、スタイルそのものなんじゃないか?と最近思うわけです。そして特筆すべきは、あの時代にそんなうまくいかない曲といい時の曲を振れ幅を持って歌うスタイルを取った同じ年代のミュージシャンがほとんどいなかったということ。

私は、迷いながら意思をもって決断したり、後悔したり…この迷いこそ人間の本質だと思っています。

迷ったり苦悩する姿なんて、当事者じゃなければかっこ悪いもので、できれば向き合いたくなんてない。いい気分の時をいい気分の曲で彩る人生こそラクだし楽しいだろう。そんなかっこ悪いこと歌にしたってしょうがない。達郎さんだったら、うっとりするようなことや幸せの賛歌をずっと歌って暮らすこともできるはず。

でも、敢えてここのかっこ悪さを歌にして共感を呼ぶというのは、すごいことだなぁと思う。まず情けない自分を受け入れて自分の心の窓を開け放たないといけないことだから。

自分のこころの弱いところってアキレス腱みたいなものをさらけ出しておくなんて、ヒヤヒヤ、ヒリヒリしちゃって誰もできればやりたくないことだと思う。だからこそ、そんなかっこ悪い部分に寄り添って共感してくれる歌があるなんてすごく励みになるだろう。

これって、向き合いたくないものに襲われても、諦めず向き合って乗り越えた人にしかできない癒やし方だと思う。いつも思うけど、達郎さんは絶対に人というものに対して諦めてないところがすごく好き。いい奴も悪い奴もいるけど、人間の「今よりも良くしよう」と思っている気持ちに対しては全く諦めてない。それが凄いなと思う。
いいこともあれば悪いこともあるなんて頭ではわかっていても、落ち込んでいるときにこんな風にバラードだけでなく、励ましてくれる曲がバリエーション豊かにあるって嬉しいよね。

達郎さんのライブで私が最も凄いと思うのは、自分の親ぐらいの年の大人たちがまるで少年や乙女のようにわーっと元気になったり、時にはめいめいの人生の中であったことを振り返るようにさめざめと泣き出すところ。
今でこそポップスにも多様性があって、そういううまく行かない時の曲を歌う人は増えたけれど、やっぱりよくない時をも肯定してくれる、ポップスとロックと演歌とブルースとフォークソングを全部ミキサーにかけて精製したような不思議な肯定感や共感をあの時代から与えてくれていたというのは、ほんとにすごいことだったんだと思います。
それをあの、会場に集った大人たちの涙が証明している。

そんなようにあの不思議に感動的な“大人の時間”が今年も始まること、本当に待ちきれないぐらい楽しみなのです。